公園での祖父との思い出

こんにちは。あっきです。

久しぶりにブログを更新しようと思います。

 

先週、仕事の都合で都心方面へ出張する機会があったのですが、久しぶりの通勤(痛勤)電車の人込みや天候のせいもあって、ぐったり疲れてしまったまま、週末を迎えることになりました。

 

私の自宅から少し離れたところに広めの公園がありまして、天気も良かったことから、自転車でリフレッシュを兼ねて行ってきました。

桜は一部の木を除いて全然咲いていない感じで、風もやや強い気もしましたが、日差しがあったので、そこまで寒さを感じることはなかったです。

 

そこで、ふと、子ども時代のころを思い出しました。

祖父の家によく連れられて行くことがあり、その時にいつも天気が雨でなければ、いつも祖父と一緒に自転車で公園に遊びに行ってました。

とにかく広くて、公園遊具があちこちにあり、吊り輪なんかもあって、今思えば、なかなかにアグレッシブな公園だったなと思います。池には魚が泳いでいて、釣りをしている人もいたり、木もいっぱい植わっていて、どれもが新鮮でただその場にいるだけでも楽しかった思い出です。

 

社会人になって、自宅と会社(デスクワーク)の往復だけになると、自然を感じる機会なんて全然ないので、心がすさんで行ったんですけど、今思えば、あの子どもの頃の日々は、定期的に自然と触れ合って、公園という場からエネルギーをチャージしていた、実は自分には必要なことだったんだ、と気づきました。浄化のエネルギーだったり、宇宙の集合意識と繋がれるエネルギーだったり、したのかな。そんなこと、子ども時代知りも、気づきもしませんでしたが(笑)まぁ、子ども時代は周囲から浮いてましたし、生きづらかったのは確かです。ライトワーカーあるあると言ったところでしょうか。

 

あと、正直なところ、友達の家族はどこどこに遊びに行ったとか、家でTVゲーム三昧とか、家の中で好きなことしていたとか、うらやましかったです。我が家はそんな自由なんてなくて、週末は親の言う通りに連れられていくだけで、祖父の家に行くときだけは数少ない楽しみでもありました。(おこづかいもらえるとか、そういう下心もなかったわけではない、笑)

 

子ども時代、とにかく家に居させないようにする母の思惑通り、自宅と学校の往復、自宅と習い事の往復、癒しとか休むとか全くない日々で、あの公園は私にとって唯一に近いほど、癒しの時間だったなと、、、。

しかも、大好きなおじいちゃんと一緒。いつも、どんな時も静かに寄り添ってくれて、笑ってくれる。学校で嫌なことがあって不機嫌まき散らしてたって、温かく包み込んでくれて、いつの間にか機嫌が直っていたり。おじいちゃんといっぱい走り回ったり、ブランコしたり、滑り台すべって、汗かいた後に休憩するときに飲むドリンクがヤクルトかジョア(笑)(大人になったら、大人買いしてやる!とか思ったことも。)ジョアは大切な思い出の飲み物です。

 

ここ最近、心が疲れてしまって、感情統合する気も、岩戸開きをする気もなくなるくらい、ズーンとなる日が続いていたのですけど、今日公園に行ってみて、子ども時代を思い出し、あの頃の日々は私に必要なことだったんだと、そして、今の私にも未来の私にも必要なことなんだと改めて気づかされたように思います。

あと、おじいちゃん(もうはるか前に亡くなってます)が、顔上げ!大丈夫!と言ってくれている気がしました。大丈夫の口ぐせ、そういえば、おじいちゃんの口ぐせだった、、、。私もよくつぶやいてます。大丈夫。

 

そういえば、いつも我儘に寄り添ってくれてたなぁ。無償の愛ってやつよね。

ありがとう、おじいちゃん。